2024年11月17日、第54代兵庫県知事に返り咲いた斎藤元彦さん。
パワハラやおねだり議員として追い詰められ、一度は知事の座を退いたものの、改革を望む市民の声を受けて再選を果たしました。
そんな兵庫県知事・斉藤元彦のルーツは実家、特に祖父にあるようです!
そこで今回は、豪邸と言われる斎藤知事の実家を調査。
資産家であり、実業家だった祖父と斎藤元彦さんとのエピソードを調査しました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
斎藤元彦の実家は須磨区の資産家!
ケミカルシューズは、ゴム靴に変わる製品を合成皮革を使い、改良を重ね生み出されたデザイン性に優れた靴のことです。
明治以来、神戸港での生ゴムの輸入とともにゴム工業が盛んに行われ、大正時代にはゴム靴の製造がはじまりました。
その後(第二次世界大戦後)、ゴムの入手が困難になったメーカーはケミカル素材(合成皮革)で靴をつくるようになりました。
神戸市長田区周辺は、全国有数の靴の産地です。
改良を重ね続けたケミカルシューズは、2017年から『神戸シューズ』としてブランド展開。
全国に魅力を発信し続けています。
幼少期の自宅は「こぢんまり」した家に4人暮ら!?
斎藤元彦さんは、両親と弟の4人家族で育ちました。
当時の斎藤家と近所づきあいがあった方がインタビューで答えています。
「一家は両親と元彦くん、そこまで年が離れていない弟の4人家族でした。その当時は、普通のこぢんまりとした家だったんですが、母方のお爺さんがケミカルシューズ製造の大きな会社の社長だというのは、有名な話でしたよ」
「こぢんまり」した家に住む一家ですが、祖父は資産家として有名人だったようです。
また、このようなインタビュー記事もありました。
実家は約120坪もある大きな家で、おじいさんを中心にいとこの世帯も一緒に住んでいました。
~中略~
特におじいさんから相当可愛がられてましたね。勉強も同級生と比べて頭ひとつ抜けていました。
話のズレは年代の違いによるもののようです。
親子4人で暮らした後、祖父が築いた豪邸に一族で暮らしていたのかもしれません。
中学校時代に高級住宅地へ移り住む
斎藤元彦さんは、中学時代に引越しを経験します。
兵庫県知事選に出馬した際、斎藤知事が「住所」とした現在の実家は “庶民的な下町” の家ではなく、斎藤知事が中学入学後に建てられた市内の高台にある新興住宅地の豪邸になっていた。
須磨区はオールド神戸と呼ばれる下町地区(南部)とニュータウンと呼ばれる新興住宅地に分かれます。
斎藤元彦さんの父親は、祖父の会社の監査役を務めていました。
ケミカルシューズ事業が盛況だった時期に、北須磨地区の豪邸に移り住んだものと思われます。
斎藤元彦は、祖父に可愛がられて育ったお坊ちゃん!?
斎藤元彦さんの祖父は、先述したとおり、資産家で実業家の大澤伸剛さんです。
- 神戸市垂水区出身
- 株式会社オオサワ 元代表取締役
- 1996年、勲五等瑞宝章受章
- 日本ケミカルシューズ工業組合、元理事長
- 2002年からは、ポートアイランドにゴルフ練習場を建設した実業家
- エネルギーの需要改革により、炭鉱労働者の増加を問題視し、九州の職業安定所を通じて人材を採用。
また、身体障碍者や母子家庭の子供を積極的に雇い、人材の育成にも貢献
斎藤元彦さんは、そんな偉大な祖父の愛情を一身に受けて育ちました。
「お爺さんが非常に元彦くんをかわいがっていたのは間違いない。中学から県外の私学に通わせたのも、お爺さんの意向で、学費を出してもらったからですよ」
「もともと、お爺さんは元兵庫県知事の金井元彦さんと交流があったし、元彦くんを県知事にするため、英才教育に力を入れていたように思いますね」
祖父は斎藤元彦さんを兵庫県知事にするために幼少期から英才教育を施します。
小さい頃から、祖父が経営の厳しさ・大変さについて話しているのを耳にしました。
その記憶が積み重なり、「地場産業を大切にしたい」と思ったことが、私が政治を志す原点になっています。
また、「元彦」と命名したのも祖父でした。
元彦という名前は、元兵庫県知事で斎藤の親族の仲人を務めたこともある「金井元彦」にあやかり、祖父が命名した。
引用:wikipedia
最後に|斎藤元彦の実家は須磨区の豪邸
今回は、斎藤元彦さんの実家について調査しました。
実家は須磨区で幼少期から育ち、現在も須磨区に住んでいるのではないかと言われています。
そんな地元愛の強い斎藤知事。
須磨区だけでなく、兵庫県全域のために改革を進めようと邁進していいます。
斎藤元彦さんのこれからの活躍に目が離せないですね!