国民に寄り添う政策を打ち出し、話題を集める国民民主党の代表・玉木雄一郎さん。
兼業農家の長男として生まれ、地元の小中学校を卒業して県内トップの進学率を誇る高校へ入学。
政治家としてのキャリアは高校時代から始まっていたと言えるでしょう。
そこで今回は、玉木雄一郎さんの高校と大学時代に焦点を当てて調査。
また、官僚3年目にアメリカ留学したキャリアについても調べました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
玉木雄一郎のプロフィール
玉木雄一郎さんのプロフィールに触れておきます。
- 名前:玉木雄一郎
- 読み方:たまき ゆういちろう
- 生年月日:1969年5月1日
- 年齢:55歳(2024年11月現在)
- 出身地:香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)
- 家族:妻・長男
【時系列】玉木雄一郎の学歴
玉木雄一郎さんの学歴を時系列で見てみます。
- 1976年:寒川町立神前小学校(現・さぬき市立神前小学校)入学
- 1982年:寒川町立天王中学校(現・さぬき市立天王中学校)入学
- 1985年:香川県立高松高等学校入学
- 1989年:東京大学入学
(1993年4月大蔵省入省) - 1995年:ハーバード大学ケネディスクール留学(1997年6月修了)
以下では、高校からの学歴を詳しく紹介していきます。
玉木雄一郎は高松高校から東大へ進学。
幼少期の玉木さん。
香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)出身の玉木雄一郎さん。
祖父は大川農協組合長、父は獣医師で香川県獣医師会の会長と兼業で農家を営ん家庭の長男として育ちます。
地元の小・中学校を卒業後県内トップの進学校へ進学。
政治家キャリアの原点となりました。
高校:県立高松高等学校
玉木雄一さんは中学校を卒業後、高松市にある「県立高松高校」へ進学しています。
オフィシャルサイトのエピソードページには、当時のことをこのように書き綴っていました。
郡部の町から県都高松市にある県立高松高校に通うことになり、これまで見たこともない高いビルや、きらびやかな商店街に度肝を抜かれる。
カントリーボーイからシティボーイへと転身した玉木さん。
ギターやピアノを独学で覚え、自身で曲作りもしていたそうです。
そんな玉木さん、現在も音楽が大好きなようです。
高校2年生の時には、文化祭の委員長を務めてダンスイベントを企画。
持ち前のリーダーシップを発揮しています。
また、運動神経も抜群という玉木さん。
体育の先生から陸上部入りを薦められるが、「陸上は大学に入ってからやるからいい」という理由で入部を拒否したというエピソードがあります。
大学:東京大学
引用:www.tamakinet.jp
玉木雄一郎さんは「県立高松高校」を卒業後、一年の浪人生活を経て「東京大学」へ入学します。
高校時代に体育教師に言い放った言葉通り、陸上部に入部。
十種競技にのめり込みました。
得意種目は「400m走」と「棒高跳び」だったそうです。
十種競技(デカスロン)は、その名が示すとおり10の陸上種目で構成され、2日間かけて実施される競技である。
1日目は、①100m走、②走幅跳、③砲丸投、④走高跳、⑤400m走
2日目は、⑥110mハードル、⑦円盤投、⑧棒高跳、⑨やり投、⑩1,500m走
が実施される。引用:www.nike.com
高校時代はバンドを組むほど音楽好きだった玉木雄一郎さん。
オフィシャルサイトのエピソードページにもこの記載があることから、歌には絶対の自信があるようです。
玉木雄一郎はハーバード大学卒のエリート政治家
引用:www.tamakinet.jp
玉木雄一郎さんは、東大卒業後に大蔵省(現財務省)に入省。
3年目にハーバード大学ケネディスクールへ留学しています。
日本で活躍する政治家も多くがこの学校を修了していることで知られています。
- 茂木敏充-衆議院議員、自由民主党幹事長
- 寺田稔-衆議院議員、総務大臣
- 上川陽子-衆議院議員、元少子化対策担当大臣
- 林芳正-衆議院議員、内閣官房長官
- 小林鷹之-衆議院議員、内閣府特命担当大臣
その他にも、大物政治家や名だたる著名人が修了生として名を連ねています。
「英語が得意とは言えなかった」と玉木さん。
一晩で100ページ以上、英語の本を読むといった宿題は、とてもきつかったが鍛えられた。
と綴っています。
また、奥さん「理恵」さんとは、ハーバード大学の教会で結婚式を挙げました。
思い出深い留学生活になったようですね。^^
最後に|玉木雄一郎の高校から大学、留学までの学歴。
外務省出向(ヨルダン、リビア担当)時代
今回は、玉木雄一郎さんの高校以降の学歴について調査しました。
ハーバード大学留学を終えて帰国後、すぐに外務省中近東アフリカ局中近東第一課に出向となった玉木さん。
留学生活の中で培った英語力を武器に、中東やアフリカを担当。
広く世界から日本を見ることになります。
日本に戻り、金融庁(証券取引等監視委員会)や大阪国政局。
内閣府出向時代には、行政改革大臣を支える仕事に従事します。
内からも外からも日本を見た玉木雄一郎さんは、「日本にも、切磋琢磨できる保守二大政党制が必要だ」と思い当時の民主党から出馬。
一度の落選を経験するも、2009年に初当選。
2024年11月現在、衆議院議員として6期目の任期中です。
国民民主党の代表としてリーダーシップを発揮し、国民のために政策を実現してくれること期待しています!